えーー
matsuri は英語アレルギーだったの?
海外に住んだりしてるのに。
うん。ぶっちゃけ、英語アレルギーでも海外には住めるよ。
英語は、失敗をくり返して身につけるものなんだ。
英語学習に終わりはないのだ…
子供のころから英語が大嫌いだったmatsuriが、「どうして英語学習を再開したのか」「どうやって英語アレルギーを克服したのか」を経験談を混じえて紹介します。
1. 英語アレルギーだった
matsuriは英語が大嫌いだった。
英語の授業が始まったのは中学生、その時の英語の先生が嫌いだった。
その先生はおじいちゃんで、英語をよく知らないわたしでもその先生の発音は最悪だとわかった。
その上、一方的な文法のテキストに沿った授業。
しかもその先生は意地が悪く、matsuriは興味がなくなるどころか、すっかり英語が嫌いになってしまった。
もちろん中学の時の英語の成績は悪く、そのまま高校でも成績は伸びないままだった。
まさに英語アレルギーと言う感じだった。
2. 英語アレルギーでも海外への憧れはあった
matsuriは子供のころから海外ドラマが好きだった。
(今のようなハイカラなNetflixドラマではない。)
たしかNHK教育テレビで、海外ドラマを放映していた。
* matsuriが好きだった海外ドラマ *
・『大草原の小さな家』
Little house on the Prairie
・『新・大草原の小さな家』
Little house: A New Beginning
・『ビバリーヒルズ青春白書』
Beverly Hills, 90210
・『フルハウス』
Full House
・『頑固じいさん孫3人』
Our House
・『天才少年ドゥギーハウザー』
Doogie Howser, M.D.
・『ダーマ&グレッグ』
Dharma & Greg
・『ロズウェル- 星の恋人たち』
ROSWELL
・『アリーマイラブ』
Ally McBeal
・『ER緊急救命室』
ER
大抵の子供はこの時点で英語に興味が湧くのだと思う。
が、matsuriの場合は「海外」への興味を抱いたが、残念ながら「英語」には興味は持たなかった。
(おそらく日本語吹き替えで見ていたからだと思う)
その後、高校生くらいの時に見た
『海の向こうで暮らしてみれば』
(毎日放送)
* 日本人女性が海外で奮闘する様子を追ったドミュメンタリー
この番組でさらに刺激され、海外への憧れが強くなった。
なんと、本が出ていた!
3. 英語アレルギーが再び勉強しようと思ったきっかけ
matsuri 英語嫌いは大人になっても変わらず、雑貨屋で働いていた時に外国の人から
“Can I pay with a card here?”
(カードは使えますか?)
と聞かれても答えることができず、他のお客様に助けてもらうということもあった。
意識が大きく変わったのは、東京を離れ国内の様々な観光地のホテルで働き始めてから。
明らかに外国人観光客が増えている。
サービス業にとって「英語を話せる」ということはメリットでしかなく、むしろ「英語を話せない」ということが仕事をしづらくなるというデメリットの方が大きかった。
負けず嫌いの性格もあったが、そのころサービスの仕事への使命感に燃えていたmatsuriは、
「外国人のお客様をおもてなししたい」という一心で英語学習を再開し始めた。
4. 中学英語の復習で英語アレルギーを克服してみる
といっても勉強の仕方もわからないmatsuriは、まずは中学英語から復習することにした。
本屋で一番見やすくて簡単そうな中学英語のテキストを探し、文法の基礎から復習。
選ぶポイントは…
・とにかくカラーで見やすい
・あまり内容を詰めすぎていないシンプル
・わかりやすくイラストが入ってる
・大型本タイプ
その時matsuri が使っていたのがこちらのテキスト
こちらはkindleで購読もできるけど、あえて大型本で視覚的に理解したかった。
今見るととっても簡単な初歩的な内容しか載っていないけれど、英語アレルギーが中学英語を復習するには最適だと思う。
まずははじめの一歩というところ。
あの学生の頃の嫌な気持ちがよみがえりつつも何とか、中学英語の初歩の初歩は理解できたというレベルに。
ただ正直なところ、英語アレルギーだった頃の中学英語を復習するのは結構しんどい作業で、楽しさも充実感も感じることもなかった。
もちろん英語アレルギーはまだ治らないし、英会話もできない…
5. 外国人客98%のレストランで働いたら英語アレルギーが無くなってきた
中学英語の初歩を復習してからパタリと英語学習は止まってしまった。
(続けなければ忘れてしまうのに…)
そしてその復習から半年後の冬に、縁があって北海道のニセコの日本食レストランで冬の間(スキーシーズン)だけ働くことになった。
ニセコといえば雪質がよく、外国人がスキーシーズンに集まることで有名な場所。
オーストラリア人が多く、あとはカナダ、アメリカ、ヨーロッパ、中国…とにかく世界中のスキーヤーやスノーボーダーがこの時期この場所に集結する。
プロのプレイヤーが長期滞在したりもしていた。
matsuriが働いた日本食レストランは一等地にある大人気のレストランで、めちゃくちゃ忙しかった。
朝から夜22時頃までとにかくずっと忙しかった。(お昼に中抜け休憩があった)
そしてお客様の98%が外国人。
もちろんオーダーは取らなきゃいけないし、コミュニケーションは必須だった。
外国人はアレルギーの人も多かったし、好みに応じて注文をカスタマイズするのが普通。
それをヒアリングしたり、使用している材料を説明したり、拙い英語で会話するのは大変だった…
でもそれを3ヶ月くらい続けていたら、英語アレルギーは自然と無くなってきたようだ。
英語アレルギーって、「英語の知識の欠如に対するモノ」っていう風に思ってたけど、違った。
「外国人とコミュニケーションを取ることに対するブロック」みたいなものだと思う。
「英語を完璧に知らないと話せない」みたいな。
しかし実際のところレストランでは、忙しすぎてちゃんとした英語を話さなきゃなんてことを考える余裕もなかった。
とにかく拙い英単語を駆使してでもさばいていかなければ、営業は終了しないし帰れない…
もはや強制的に「英語アレルギー克服キャンプ」に入隊させられた感じ(笑)
もちろん間違えてオーダーを取ったこともある。
そしてたくさん失敗して、失敗することにも慣れ、挑戦することにも抵抗が無くなったって感じ。
その時、外国人に対して感じた印象は、みんなおおらかで優しい。
店の外で待たされても、オーダーを取りに行けなくても、料理が遅くても、急かすことはないし、文句も言ってこない。(通じないと思って言わないのかもしれないが)
みんなで楽しくおしゃべりしている。そして最後にありがとう!おいしかったよーって。
なんだか文化の違いにも感激した。
そんな感じで「英語アレルギー克服キャンプ」は無事終了した。
6. 勢いで行ったフィリピン留学で得たもの
ニセコで働いていた時はまだまともな英会話はできていなかった。
単語を頼りに、相手が言っていることをなんとか理解していた。
ホントに単語でどうにかしていたという感じ。(笑)
実はその時に一緒に働いていた友達がフィリピンに語学留学に行くと言って調べていた。
そしてフィリピンでの語学留学がどんなメリットがあるかいろいろ教えてもらった。
しかしその友達は、そのころフィリピンのダバオで爆発事件が起きたことにより、行くことを断念した。
そう、フィリピンは治安が悪いのだ。
(その事件はテロによるものだと、長年ダバオ市で市長をしていたドゥテルテ大統領は断定した)
なんでそんな危険な場所に行くことに決めたかは、今のmatsuriにもよくわからないが、「じゃあ、わたしが行く!」と言って、ニセコの仕事のあとにダバオに渡った。
時々、自分でも理解不能な無鉄砲な行動をすることがある。
おそらくニセコの後で、英語をもっと話せるようになりたいモードがMAXだったのだろう。
さて、フィリピンの語学学校での成果はというと…
最悪だった。
なぜなら中学英語をサクッと復習しただけで、簡単な単語でのやり取りしかできなかったから。
会話の練習なんて全くしていなかったし、まず簡単なあいさつや自己紹介もままならなかった。
でもフィリピン人の先生はめちゃくちゃ優しくて、陽気で、人懐っこくて、英語ができるとかできないとかでなく、ひとりの人間としてmatsuriと仲良くしてくれるという感じ。
「英語の勉強は、続ければ誰でも話せるようになるから」って、みんな励ましてくれた。
朝からグループレッスン、午後はマンツーマンレッスン、そして放課後は宿題、週末は宿題…時々のんびり…
(結構ハードなスケジュールだった)
この2ヶ月間のフィリピン留学では、英語学習そのものより、人や文化についてや、人とのコミュニケーションについてなど多くの学びになった。
いま思い出してもキュンキュンする。
また行きたいな―(結構リピートする人がいるみたい)
フィリピン語学留学の様子は別でまた☆
この時点で無くなりかけていた英語アレルギーは、
「フィリピン留学に行って先生と仲良くなれたけど、英語はうまくしゃべれていない」
という劣等感に変わった。
そしてその時、目の前に立ちはだかる大きな見えない壁をハッキリと感じていた。
7. 英語アレルギーは完全に無くなった?
matsuriが本格的に英語学習を始めたのがフィリピンから帰ってきてから。
英語アレルギーは劣等感に変わってしまったけど、この頃になるともう
「ただただ、英会話を上達したいっていう気持ち」で勉強した。
劣等感を持ちながらがんばれたのは、おそらくmatsuriの負けず嫌いと、フィリピン人の先生たちとの出会いのおかげだと思う。
こんなレベルでもなんとかコミュニケーションが取れるのだから、もっとうまくなったら、きっともっといろんな国の人といろんな事を話せる!
海外への憧れがパワーになった。
次の職場は山梨県の河口湖近くのホテル
河口湖も外国人に人気の観光スポットで、海外からのお客様は多かった。
ここで、レストランサービス英語をしっかり掘り下げて身につけることができたと思う。
ニセコの時は、英単語でコミュニケーション
↓
河口湖では、文章でコミュニケーション
(全ての料理説明、アテンド、オーダー)
近くに「英会話レッスンをしてくれるカフェ」をみつけて、休みの日には必ず通っていた。
(先生がすごくかわいくて優しくてステキな人!通うのが楽しみだった!)
ここではレストランサビースに使う英語を主に勉強した。
行く前に「料理の説明方法」や「質問の受け答え」などを事前に自分なりに調べ、先生に訂正してもらいアドバイスをもらう。
あとは言い回しやイントネーションのレクチャー。
これを毎週繰り返した。
すると、あの英語アレルギーだったmatsuriは、いつのまにか海外からのお客様を担当するよう頼まれるまでになった。
実はこれはとても簡単。
レストランでのサービスで使う英語は形式がほとんど決まっているため、まずはフレーズを覚えるだけでよかったのだ。
でもこの経験で自信がついたし、同時に「仕事で英語を使う」という充実感も得られた。
「体験を通して学ぶ」というのは、何かを習得するには、近道になると思う。
そして、「試してみて通じたときの喜び」これが継続するやる気につながったと思う。
英語がわからなければ、相手の感謝の気持ちも受け取れない。
これはもったいない。
この時からおそらく、「英会話は文法や単語が正しくなくても気持ちで通じる」ということを確信していたと思う。
ホテルで出会う海外からのお客様は、一期一会でほとんどまた会うことはないので、恥ずかしいと思うこともなく、練習させていただくには最適だった。
しかも当時はホテルサービスのスタッフでも英語を話せる人が少なかったため、とても喜んでもらえた。
そして、少しずつ外国人と意思の疎通が取れるようになると、もっと英語を理解したいと思うようになってきた。
この流れがよかったのだと思う。
この時点で英語アレルギーは完全に無くなり、劣等感も無くなった。(※一時的に)
* さいごに *
この時点でmatsuriは英語アレルギーは克服できたのだが、この後にまた運命の試練が降り掛かってくることになるのだ…
そう、英語学習は終わりがない。
常に心の葛藤と、脳の老化との戦い。
笑いあり、涙あり。
人をうらやみ、人を愛し…
英語学習はそんなドラマチックなもの。
英語学習経験者はみんな経験していると思う…
だよね?
人生後悔なく、精一杯生きたいみんなに英語学習はおすすめ!
この続きはまた今度☆
matsuri
https://matsuriism.com/covid-travel/
https://matsuriism.com/oats-allergy/
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