チャコとチコは
わたしのこれまでの人生の人間以外の家族。
(厳密には金魚やめだか
インコのぴこちゃんとマッチも飼っていたけど、四つ足限定で!)
どちらももうこの世にはいないけど
存在の大きさや心のつながりを今でも強く感じる。
わたしの人生において
重要な登場人物(登場犬猫物?)だ。
チャコは
高校生の時に実家で一緒に住んでいた三毛猫。
兄が拾ってきた捨て猫だった。
チコは
実家を離れてから両親がかわいがっていたチワワ。
両親がペットショップで出会った。
「元捨て猫*三毛猫のチャコ」
と
「ペットショップ出身*チワワのチコ」
相反するキャラのように見えるが
どちらも本当にかわいくて
わたしも家族もどちらも大好きでかわいがった。
元捨て猫・三毛猫のチャコ
チャコは気ままに外に遊びに行き
好きな時に帰って
お気に入りの場所で昼寝をして
ご飯を食べて
またお気に入りの場所で寝る。
(家にいるメンバー、季節や時間によって
お気に入りの場所が変わる)
そしてまた
気ままに夜の散歩に出かける。
見て見てーー
これ捕まえたよーー!!
と小さなネズミをくわえて得意げに帰ってきたり
大きな猫に追いかけられて
玄関のじぶん専用の入口に
猛スピードで走って飛び込んで帰ってきたり。笑
自由でお転婆で無邪気な女の子という感じ。
よく夜中に2階のわたしの部屋の窓の外から
開けてーー!!
ってわたしを起こして
窓を開けて入れてあげると
ベッドに入り込んで
夜風で冷えた体を毛づくろいして
わたしのお腹のあたりで丸くなってた。
庭のシュロの木を登って
屋根に飛び移って
わざわざわたしを起こす。笑
玄関のじぶん専用の入口から入ればいいのに
かわいいやつ 笑
父親が庭でどんぐりを投げてあげると
ウニャといって走ってキャッチして
まるで犬だったなー。笑
学校の帰り道歩いてたら
散歩中のチャコに遭遇して
何年ぶりの再会みたいに
ニャーーー!!!
って感激で走ってきたり。
***
チャコは
わたしが実家を離れて数年後に
突然帰ってこなくなり
両親の決死の捜索により線路横で見つかった。
眠っているかのように
とてもきれいなままだった。
病気だったのか事故だったのか
真相はわからないが
きれいな状態で家に帰って来てくれたこと
発見したのが両親だったこと
(何度も探した場所だったと後から聞いた。
見つかったのは父の誕生日だった。)
それから
わたしの帰省に合わせてくれたかのように
見つかってくれたことがうれしかった。
わたしをためを思ってくれたのか
チャコがわたしに会いたかったのか
どっちでもいいし
どっちもでもいい。
チャコとの心のつながりを感じた。
本当に愛おしいやつ。
心が泣き止むまで何年もかかったよ。
今でも大好きだ。
一生忘れない。
ペットショップ出身・チワワのチコ
チコは犬っていうこともあるけど
とっても両親に従順で
ひとりではどこにも行けないし
知らない場所に行くと
抱っこしていてもブルブル震えが止まらい。
もちろん家族以外の人には決して懐かない。
宅急便のお兄さんにはもれなく吠えるし
声の多きい親戚のおばさんが来ると隠れる始末。
吠える元気はあるけど
めっちゃ臆病。笑
帽子やサングラスの人はNG。笑
でもなぜか
一緒に暮らしたことがないわたしと兄には
初めて出会ったときから心全開で
帰省する度にしっぽふりふり
大歓迎で”うれション” 笑
DNA的なものがわかるのか
におい的なものがあるのか
不思議だよね。
でもこれ犬飼っている人にはあるあるだよね。
子育てが終わった母親が
ずっと夢だった「チワワを飼う」を
父親に頼み込んで実現して出会ったチコ。
「ペットショップで他の仔とは違った」と母親は言っていた。
まるで赤ちゃんの世話をするように
大事に育てていた母親。
特に下の世話が好きだったみたい。
動物があまり得意ではなかった父親が
これは義務だといって
毎朝決まって家のまわりの散歩につれていくと
何故かへそを曲げて
もう行かないと散歩を放棄した母親。
車で整備された大きな公園に散歩につれていく時も
車の中で一歩も外に出ることなく待つ母親。
これは母親の問題であるとは思うが
わたしはこれを
自分たちを育ててくれた時の母親の心情まで
無駄に読み取ってしまう。
***
チコは両親が絶対で
従順で
世話をされることを心から喜んだし
愛嬌たっぷりに表現したり
わがままをストレートに表現したり
両親はそんなチコを
できの悪い息子娘以上にかわいがった。
老いた自分たちより先に
老後の世話をして看取ることを
もちろん想定して家族として迎え入れたチコだが
実際にそれを経験し
また二人きりとなった両親は
今どのような気持ちで過ごしているのだろう。
子を持ったこともなく
母親になったこともないわたしには計り知れない。
チコはチャコで、チコはわたし。そしてわたしはチャコ。
チコはわたしより早く老いて
わたしより先に天国にいった。
犬だからしょうがないのだろう。
犬と人間の寿命は違うのだから。
老いるスピードも。
わたしはチコを妹のように思っていた。
チコも仔犬のころは無邪気でかわいかったのだ。
そのお転婆ぶりは先代のチャコにそっくりで
家族みんなで
”チコはチャコの生まれ変わりだ”と話していた。
わたしたちは姉妹のようだった。
仲良く並んでお腹出して寝たりね。
でもそのうちチコはわたしより大人になり
姉のように接するようになり
そしていつしかわたしを遥かに追い越し
あらゆる物事を悟った老女のような目で見るようになった。
(その頃にはもちろん感激で”うれション”をすることもなく
いつものじぶんのベッドで寝ていることが多くなっていた。)
その瞳は老化により白濁していて
それがわたしにはむしろ
世の中を達観しているように感じた。
言うことを聞かない
自分の思う通りにはならない息子と娘の代わりに
何も文句を言わないチコが
母親にされるがままに
おもちゃのように扱われているかのように
そんな風に
わたしは身勝手に感じていたことがあった。
わたしもあんな風に
母親の価値観を押し付けられて
思うがままに育てられたんだ。
だからこんな風に
社会に適合できない大人になってしまったんだ、と。
でもそれは本当に身勝手で大きな間違いだった。
チコが姉になった頃から
わたしが同情の目でチコを見ると
チコは瞳の奥でわたしに語りかけてくるようになった。
“大丈夫。あたしがあんた達の代わりにお父さんとお母さんを癒やしてるから心配しないで”
そして、チコが天国に行く前
白濁した瞳がわたしをじーっと見つめてきて
そして教えてくれたのだ。
“あんたができなかったこと。
あたしができることは代わりに全部やったよ。
これで安心して天国に行ける。”
”あたしを看取ることもお父さんとお母さんがやりたいことなの。
だからやり遂げさせてあげて。
お願いだから邪魔しないであげて。”
“気にしないで。
あたしはあんたの分身なんだから。”
ありがとうと愛と笑顔の涙がとまらない
わたしはこれまで両親に対して
甘えることができず
育てづらい娘だったと思う。
病気で入院した時も
お見舞いも拒絶し
金銭面も頼ることはしなかった。
実家を離れてからも
帰省は自分の気が向いた時。
連絡もほとんどしない。
チコのことを
「自分の意志のない
言われるがままされるがままのかわいそうな子」
と思っていた。
ごめんね。
ありがとう。
家族に一番に寄り添い
それぞれの気持ちを理解し
わたしの代わりに家族の思いを叶えてきた
かけがえのない存在だったのだ。
ありがとうをどう伝えたらチコは報われるのだろうか。
チャコが家に来た時も
わたしたちが思春期で
両親が不仲だったころだった。
あの時のわたしとチャコは
双子みたいにそっくりで
行動も性格もまるで同じ。
だからわたしが実家を離れても
両親がさみしくなかったんだろうね。
無謀に冒険にでかけるチャコを
わたしは勇敢で頼もしく見ていたよ。
その行動力が好きだったし
わたしも同じように行動してる。
チャコの気持ちがよくわかる。
そして解り合えてたと思う。同志。
チコとの出会いは
わたしがもう少し大人になってから。
わたしが幼稚な考えを持っていた時も
黙ってわたしの魂の成長を見守っていたんだね。
今だからわかる。
やっとわかったよ。
仲良し姉妹の姉と妹が逆転し
チコが先に涅槃の境地に達して
模索してるわたしを俯瞰していたような。笑
ガタガタの家族だけど
チャコとチコの話をする時
今でもわたしたち家族は笑顔になれるよ。
愛情表現が苦手なわたしたちに
愛と笑顔を教えてくれてたんだね。
また会いたいな。
きっとまたどこかでみんなで会える気がする。
あとがき
わたしのお客様のお話。
70代のおひとりの女性で
最近、長年飼っていたわんこを天国に見送ったとのこと。
そのわんこは頼もしくお父様の介護を手伝ってくれたそうだ。
家ではずっと健気に寄り添い
毎日の外の散歩も3人で一緒に行っていたそう。
ひとりではとても無理だったとおっしゃっていた。
お父様もご本人をも癒やし笑顔にし生きる力になってくれたと。
そして、その女性は気丈に話してくださった。
「今は私がひとりで散歩する気になれないから、次の子を探してるのよ」
いつまでも悲しんでひとりでふさぎ込むわけではなく
前向きに自分の人生を幸せに暮らそうと考えているところがとても素敵だと思った。
その女性の話し方はとてもリズミカルで声もキラキラしていた。
わたしは次の子は
きっとあのわんこの生まれ変わりだろうと密かに思った。
「動物は亡くなったらさみしいから」
「年寄りが動物を飼ったら動物がかわいそう」
だから飼うべきではないという意見もある。
考え方は人それぞれだしその方の人生はその方のもの。
そこに登場するわんこのわん生もそのわんこのもの。
このかけがえのない地球の時間
幸せを感じ過ごせること、それが最幸なんじゃないかと思う。
森羅まつり